「拡張能が悪い」とは、何が悪いのか
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息切れのある患者で左室拡張末期圧LVEDPが高く、治療後に下がった。これを「拡張能が改善した」とまとめてよいだろうか。心筋が速く力を抜けるようになったのか、心室が広がりやすくなったのか、それとも入っている血液量や、心室を外から押す圧が変わったのか。同じ圧の低下でも、どれが起きたかによって診療へ持ち帰る意味は異なる。
拡張期の圧は、少なくとも三つの過程が重なって決まる。心筋の力が消えていく弛緩、力が消えた後の心室がどれだけ広がりやすいかという受動特性、そして血液がどの圧のもとでどれだけ入ってくるかという充満の条件である。この回では一拍を時間の順に追い、細胞内Ca²⁺の低下から、左室圧の下降、僧帽弁の開放、充満、拡張末期までを一本につなぐ。PV loopは圧を容積と結び、左房・左室の圧波形はその圧が一拍のどの時点で生じたかを示す。二つを並べて読み、高い充満圧がどの過程のどの時点に由来し得るか、τやIVRTといった指標がそのどこを見ているのかを説明できるようになることが、この回の目標である。
Ca²⁺が下がってから、力が消えるまで
収縮のために増えた細胞内Ca²⁺は、筋小胞体への再取り込みと細胞外への排出によって減っていく。Ca²⁺がトロポニンから外れると薄いフィラメントの調節状態が変わり、ミオシンがアクチンへ新たに結合して力を支えることが難しくなる。すでに結合していたクロスブリッジも解離し、能動張力は低下する。弛緩とは、刺激が止まった筋が受け身に伸ばされることではなく、力を生んでいた結合が解けていく過程であり、それ自体に固有の速さがある。1,2)
この過程にもエネルギーが要る。Ca²⁺を筋小胞体へ戻すSERCAはATPを使うポンプであり、細胞膜のNa⁺/Ca²⁺交換体NCXはNa⁺との交換でCa²⁺を細胞外へ運ぶ。結合したミオシンがアクチンから離れる段階にも、新たなATPの結合が必要である。心筋は力を出すときだけでなく、次の充満へ向けて力を抜くときにもエネルギーを使っている。1,3,4)
しかも、これらの段階は同じ時計で進むわけではない。細胞内Ca²⁺濃度の低下、トロポニンの不活化、クロスブリッジの解離には、それぞれの速さがある。Raoらは筋原線維の実験で、トロポニンIのリン酸化によって、Caを除いた後の弛緩初期の速度と持続時間が変わることを示した。Ca²⁺の波形が分かっても、力がいつ消えるかまでは決まらない。2)
細胞の力から、心室の圧へ
細胞の張力が心室の圧になるまでには、もう一段の換算がある。心筋線維は心室壁を取り巻くように並び、線維の張力は壁の応力となって、曲がった壁が内側の血液を押す。形の効果を見るために、壁を一様な応力σ、壁厚h、半径rの薄い球で近似し、hがrより十分小さいとする。このとき壁の力の釣り合いから、壁の内外の圧差である経壁圧はP_tm≈2σh/rとなる。同じ壁応力でも、壁が厚いほど、また半径が小さいほど、壁が支える圧差は大きい。カテーテルで測る腔内圧は、この経壁圧に心室の外から加わる圧を足したものである。これは形と圧の関係を示す単純化した釣り合いの例で、実際の心室の形や応力分布を表すものではない。それでも、心室圧が心筋の生む応力だけでなく、そのときの形、壁厚、容積、周囲から加わる圧にも左右されることは読み取れる。僧帽弁が開けば、左房から入る血液が容積を変え、圧もそれに応じて変わる。筋原線維の弛緩が速いこと、心室圧が速く下がること、早期流入が大きいことは、互いに関係しながらも別々の量を測っている。5)
このうち圧の下降を比べやすいのが等容弛緩期である。大動脈弁が閉じて駆出が終わってから、僧帽弁が開いて流入が始まるまで、二つの弁はともに閉じており、心室容積はほぼ一定に保たれる。流入による容積変化が圧に混ざらないため、この区間の圧の下がり方は、壁の能動張力が消えていく経過を推し量る手掛かりとして使われてきた。その下がり方を一つの時定数τで要約する方法がある。6)
τは、圧下降に当てはめたモデルの係数
圧がある値P∞へ指数関数的に近づくと仮定すると、等容弛緩期の圧下降は次式で書ける。Pは左室圧(mmHg)、tは時刻、t₀は当てはめを始める時刻、P₀はその時点の圧、τは時定数(ms)である。τは開始圧と漸近圧の差が1/e(約37%)に縮むまでの時間で、小さいほど差は速く縮む。P∞は当てはめによって決まる漸近圧であり、実際に測った最低圧や拡張末期圧を代入する量ではない。7)
Weissの方法は、漸近圧を0とおいて圧下降を記述した。P∞も同時に推定する方法では、圧がどこへ向かって下がるかという基準と、どれだけ速く近づくかという速さを分けて求める。Langerらは数理解析と摘出心の研究から、漸近圧を0に固定するかどうかで、条件間のτ変化の向きまで変わり得ることを示した。6,7)
図1は、この問題を数値例で示したものである。左のパネルでは開始圧80 mmHgと真のτ 40 msを固定し、漸近圧だけを−5、0、+5 mmHgに変えた。三本は同じ速さの法則に従うが、向かう先が違うので、時間がたつほど圧の差が開く。右のパネルは、漸近圧を0と仮定して0〜90 msの対数圧を直線回帰し、その傾きからτを求めた結果である。漸近圧が0の曲線では対数圧が直線になり、真の40 msが返る。漸近圧が正の曲線は0まで下がりきらないので推定τは長く、負の曲線では短くなる。「τが延長した」「τが改善した」という報告を読むときは、数値に加えて、当てはめた式と使った区間を確かめる必要がある。
図1:同じ圧下降時定数でも、漸近圧の仮定で推定値が変わる

説明用の指数波形。開始圧80 mmHg、真のτ40 msを固定し、漸近圧だけ−5/0/+5 mmHgとした。右は0〜90 msのln Pを直線回帰し、τ=−1/slopeを計算した例。点線はその回帰線。数値は選んだ例であり、患者や本アプリのデータではない。
本稿による独自作図。説明のために選んだ数値を使用。
この式と図は、圧下降の読み方を整理するための数学例である。本稿の実験ではτを入力として設定することも、出力として算出することもなく、圧波形そのものを観察する。また、同じτでも漸近圧との差が大きい時点ほど下降は速いので、圧の下降速度dP/dtとτは別の量である注1。さらに圧下降は心筋の性質だけでなく、そのときの圧や容積の条件の中で起こる。Weissらは、圧下降の時間経過が血行動態のどの条件に左右されるかも検討している。τやdP/dtが負荷によってどう動き得るかは、第3回で扱う。6)
左室圧が左房圧を下回ると、充満が始まる
僧帽弁がいつ開くかは、左室圧だけでは決まらない。弁の向こう側にある左房の圧との比較で決まる。左室圧が左房圧を下回り、左房から左室へ流れを生む圧較差ができると、早期充満が始まる。左房圧が高ければ、同じ左室圧の下降の途中でも、より早い時点で流入が始まる。そのため、等容弛緩時間IVRTが短いことだけから、心筋の弛緩が速いとは判断できない。8)
流入が始まると容積が増え、心室壁は伸ばされる。能動張力が消えた後の壁は、伸ばされるほど強く押し返す受動的な性質を持ち、同じ量の血液を入れたときにどれだけ圧が上がるかは、この性質に大きく左右される。その曲線の読み方は第2回で扱う。拡張後期には心房収縮が加わり、拡張末期の容積と圧が決まる。弛緩が遅く拡張期にも能動張力が残ることと、受動的に広がりにくいことは、どちらも充満圧を上げ得る。実際の心不全では、これらが血液量や左房の状態と組み合わさっている。9)
一拍の圧と容積を、同じ条件で読む
実験では、総血液量を4935 mLにそろえ、左室自由壁と中隔の受動係数が1.04と1.33の2条件を比べる。まず係数1.04の左室・左房の圧波形と左室PV loopを並べ、一拍の中で左室圧の下降、左房圧との交差、容積の増加、拡張末期を順に追う。次に係数1.33の条件で、同じ時点の圧と容積がどう変わるかを見る。この係数は、同じ伸びに対する平衡受動応力を約1.28倍にし、粘弾性の係数も同時に変える設定である。このモデルは自由Ca²⁺の波形を与えて張力と循環を計算しており、心室のCa²⁺の減衰だけを速めたり遅らせたりする操作はできない注2。この比較で直接操作するのは受動係数であり、能動的な弛緩を独立に変えているわけではない。ただしCa²⁺の設定が同じでも、圧や容積の経過が変われば、左室圧の下降の時定数τまで同じとは限らない。比べるのは、各設定で圧・容積・流量が毎拍同じ経過を繰り返す周期定常状態で、設定を切り替えた直後の経過は扱わない。
二つの図は、縦軸の圧の基準が異なる。波形のLVP/LAPは心腔内の圧、PV loopの縦軸は壁の内外の圧差である経壁圧である。心室の外から加わる圧が小さい条件では両者は近いが、外圧が大きくなると離れる。この違いは第6回で詳しく扱う。平均左房圧、僧帽弁閉鎖時の左室圧、最大容積をそれぞれ別の測定として読むと、「拡張能が悪化した」という一言よりも具体的に、何がどこで変わったかを言えるようになる。
インタラクティブ・シミュレーション
同じ血液量で、受動係数を比べる
シナリオ 2件・グラフ 2件・出力 8件・操作 0件
- 左室PV(経壁圧)
- 左室圧と左房圧
- MV閉鎖時LV腔内圧
- MV閉鎖時LV腔内圧
- MV閉鎖時LV容積
- MV閉鎖時LV容積
- 平均左房圧
- 平均左房圧
- 有効CO
- 有効CO
シミュレーションを操作するにはJavaScriptを有効にしてください。
総血液量4935 mLのまま受動係数を1.04から1.33にすると、僧帽弁閉鎖時の左室腔内圧は10.91から13.10 mmHgへ上がった。一方、その時点の左室容積は143.7から142.3 mL、心拍出量は5.61から5.55 L/minで、ほとんど変わらなかった。受動的に広がりにくくした心室でも、ほぼ同じ量の血液を受け入れて拍出している。違いは拍出量の大きな低下ではなく、充満を終える時点の圧の上昇として現れた。
ここで比べた僧帽弁閉鎖時の左室圧は、臨床で心室の昇圧前に読むLVEDPと同じ時点とは限らず、純粋に受動的な圧でもない。閉鎖の時点に残る能動張力や、条件によっては次の収縮の始まりも含み得る。どの時点の圧を、どの曲線の上に置いて比べるかは、第2回で詳しく扱う。
この比較だけを見ると、高い閉鎖時圧は受動特性の変化で説明できそうに見える。しかし、受動係数を変えずに総血液量を増やしても充満圧は上がる。高い圧という結果から、原因を一つに逆算することはできない。圧が同じ曲線の上を移動した結果なのか、曲線そのものが変わった結果なのかを区別するには、圧を容積と組にして曲線の中に置く必要がある。それが次回の問いである。
充満圧が下がった理由を、一つずつ分ける
冒頭の患者に戻ると、LVEDPが下がったときにまず確かめたいのは「どこで、いつ測った圧か」である。次に、その圧に、力の消退、心室の受動特性、外からの拘束、血液量や流入の条件のどれが寄与していたかを考える。血液量が減っても、心室を外から押す圧が減っても、弛緩が速くなっても、LVEDPは下がり得る。「拡張能の改善」と呼ぶ前に、圧・容積・流れを組み合わせてどの過程が変わったのかを見分けることが、拡張期を理解する出発点になる。
拡張能と弛緩|記事と実験のガイド連載全8回の一覧と、実験の読み方。CircleHeart 次へ|「心室が硬い」とは、どの曲線の傾きか第2回へ進む。CircleHeart注釈
- 注1圧の下降速度とτを区別する↩
指数モデルを時間で微分すると次式になる。τを秒で表せば、両辺の単位はmmHg/sである。同じτでも、漸近圧からの差P−P∞が大きい時点ほど圧は速く下がる。したがって、最大負dP/dtの絶対値が大きくなったことだけでは、τが短くなったとは言えない。これは式から導かれる関係であり、本稿の実験の計測結果ではない。
- 注2細胞の説明と、この実験のモデル↩
このモデルは自由Ca²⁺の波形を入力として与え、そこから張力と循環を計算する。SERCAやNCXによる輸送、ATPの産生と消費を個別に解いているわけではない。本文の細胞生理は弛緩を理解するための背景であり、実験の操作を特定の分子の作用に置き換えて読むことはできない。
文献
- Relaxation in rabbit and rat cardiac cells: species-dependent differences in cellular mechanisms (1994) SERCAとNa⁺/Ca²⁺交換の阻害実験から、Ca除去と弛緩の機構を比較。 DOI: 10.1113/jphysiol.1994.sp020130。↩1↩2
- PKA Phosphorylation of Cardiac Troponin I Modulates Activation and Relaxation Kinetics of Ventricular Myofibrils (2014) トロポニンIのリン酸化が、筋原線維の活性化と弛緩速度に及ぼす影響。 DOI: 10.1016/j.bpj.2014.07.027。↩1↩2
- Klabunde RE. Cardiac Excitation-Contraction Coupling. Cardiovascular Physiology Concepts. SERCA、NCX、クロスブリッジをつなぐ心筋興奮収縮連関の著者公式解説。↩
- Clippinger Schulte SR, et al. Single-molecule mechanics and kinetics of cardiac myosin interacting with regulated thin filaments. Biophys J. 2023;122:2544–2555. 心筋myosinの単分子実験で、ATPによる解離とADP放出を分けて測定。 DOI: 10.1016/j.bpj.2023.05.008。↩
- Passive properties of canine left ventricle: diastolic stiffness and restoring forces (1988) 流入を制御し、十分に弛緩した心室の受動圧容積関係と通常の充満軌道を区別。 DOI: 10.1161/01.RES.62.6.1210。↩
- Hemodynamic determinants of the time-course of fall in canine left ventricular pressure (1976) 左室圧下降を指数関数で記述し、時定数τの血行動態上の決定因子を検討。 DOI: 10.1172/JCI108522。↩1↩2↩3
- Estimation of the Left Ventricular Relaxation Time Constant τ Requires Consideration of the Pressure Asymptote (2005) 圧下降の漸近圧をゼロとする仮定が、推定されたτへ及ぼす影響。 DOI: 10.33549/physiolres.930624。↩1↩2
- Analysis of the early transmitral Doppler velocity curve: effect of primary physiologic changes and compensatory preload adjustment (1990) 早期僧帽弁流入を、弛緩、両心腔の硬さ、左房圧の組合せから解析した数学モデル。 DOI: 10.1016/0735-1097(90)90356-T。↩
- Zile, Baicu & Gaasch. NEJM 2004;350:1953–1959 拡張不全患者で、左室の能動的弛緩と受動的な圧容積特性を評価。 DOI: 10.1056/NEJMoa032566。↩